阪神競馬場に訪れた静かな衝撃
9月の阪神競馬場。
秋の気配を運ぶ風がスタンドを抜け、緑のターフを柔らかく揺らしていた。
この日の第5レース、2歳新馬戦。
まだ競馬ファンの誰も知らない無名の一頭が、ここで歴史に残る走りを見せることになる。
その名は――バークシャーシチー。

伝統ある「シチー」の血統
この馬を送り出したのは、オールドファンには馴染み深い「友駿ホースクラブ」。
かつて「シチー」の冠名を背負い、数々の名馬を世に送り出してきた歴史あるクラブである。
思い出されるのは、1980年代後半に活躍したゴールドシチー。シンボリルドルフ世代の名マイラーとして今も語り継がれる存在だ。
さらに2000年代には、凱旋門賞挑戦でも注目を集めたタップダンスシチー。宝塚記念、有馬記念を勝ち切った姿を覚えているファンも多いだろう。

そんな伝統のクラブから送り出された新星――それがバークシャーシチーだ。
だが、この馬の物語は、華やかな血統や高額募集馬とは程遠いところから始まっていた。
価格は“わずか4.4万円”
バークシャーシチーの募集価格は、驚きの4.4万円。
近年の一口クラブ馬の相場を知る人なら、思わず二度見してしまうような金額である。
たとえば、サンデーレーシングやキャロットクラブの募集馬は、一口価格が10万円前後が多く、総額にして数千万円から億単位に達する馬も珍しくない。
そんな中で、たった4.4万円という破格の設定。競走馬の世界では「ほぼタダ同然」と言っても過言ではない。
さらに調教の動きも地味。某競馬情報サイトでも「平凡」と評され、デビュー前からファンの期待はほとんど寄せられていなかった。
当日の単勝オッズは36.7倍。フルゲートに近い出走馬の中で、ブービー人気という評価にとどまっていた。
だが、その低評価を覆すドラマが、阪神のターフで待っていた。
出遅れからの衝撃走
スタートは案の定、やや遅れ気味。
「ああ、やはり人気通りか」と多くの観客が思ったに違いない。
しかし、二の脚でスッとリカバリーし、後方の内ラチ沿いへスムーズに収まる。
騎手の手綱さばきとともに、馬自身もリズムよく折り合い、淡々とした流れの中で機をうかがった。
勝負どころの最終コーナー。
後方の位置から、大外へ持ち出された瞬間――。
バークシャーシチーはまるで別馬のように一変する。
一気に加速。
その脚色は、前を行く馬たちとはまるで次元が違った。
直線で次々とライバルを抜き去り、ゴール前では力強く差し切り。
まさかのブービー人気馬が、見事に新馬戦を制してみせた。
観客席からは驚きのどよめきが広がり、その姿は鮮烈な印象を残した。
時計が示す“只者ではない”素質
この勝利をただの波乱劇と片付けるのは早計だ。
なぜなら、その勝ち時計が異常だったからである。
記録されたのは1分47秒2。
阪神芝1800mの新馬戦における過去10年の最速タイ記録だったのだ。
さらに驚くべきは、過去にこの距離・舞台で1分47秒2以内の時計を出した馬がわずか17頭しかいないという事実。
その中には、後にエリザベス女王杯や香港ヴァーズを制し、世界を股にかけたリスグラシュー、
エリザベス女王杯馬ジェラルディーナ、
そしてダービー路線を賑わせたサトノグランツらが名を連ねる。
つまり、バークシャーシチーの走破タイムは、将来GⅠを狙えるクラスの名馬たちと肩を並べるものだった。

リスグラシュー超えの可能性も?
ラップタイムをさらに掘り下げると、その価値はより鮮明になる。
実は、デビュー戦当時のリスグラシューと比較しても、上がり3ハロンやラップはバークシャーシチーの方が優秀だった。
もちろん、時計がすべてを物語るわけではない。
展開や馬場状態によって記録は変動する。
しかし「格安馬」として低く見られていた存在が、名牝リスグラシューのデビュー戦を凌ぐパフォーマンスを示したという事実は、競馬ファンにとって強烈な衝撃だった。
SNS上でも「まさかの大物か?」「リスグラシュー級の逸材かもしれない」といった声が相次ぎ、この日の新馬戦は一気に話題の中心となった。
伝統に再び光を灯すか
勝利後のウイナーズサークルで、馬主クラブ「友駿ホースクラブ」の関係者の笑顔が映し出された。
ゴールドシチー、タップダンスシチーといった名馬を送り出したクラブだが、近年は大舞台での活躍馬が少なくなっていた。
しかし、このバークシャーシチーの登場によって、再び“シチー”の名に光が灯る可能性が出てきた。
競馬の世界では「価格」や「血統の派手さ」だけでは測れない可能性がある――その象徴的な存在となり得るのだ。
ファンが待つ「次の一戦」
今回の勝利は偶然か、それとも本物か。
真価が問われるのは次走である。
もし今回の走りがまぐれではなく、再現性のある強さであれば、友駿ホースクラブから再び重賞戦線を賑わすスターが誕生するかもしれない。
そして、「格安馬がGⅠ馬へ」という物語は、多くのファンに夢と希望を与えるだろう。
競馬ファンの視線は、すでに次の出走表に釘付けだ。
結びに
バークシャーシチー。
その名は、まだ無名の新馬戦勝ち馬にすぎないかもしれない。
だが、阪神のターフで示した走りは、確かに人々の心を震わせた。
「格安馬が突如魅せた、リスグラシュー級の衝撃」。
伝統ある“シチー”の冠に、再び光が宿る日が来るのか。
その挑戦は、まだ始まったばかりだ。
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