ハルウララ――「負け組の星」が遺したもの

名馬伝説

2025年9月9日。
日本競馬界、そして高知競馬の歴史に深く名を刻んだ一頭が、静かにこの世を去りました。

その名は――ハルウララ

「負け組の星」。
かつてそう呼ばれ、日本中を熱狂させたこの栗毛の牝馬の存在を、あなたは覚えているでしょうか。


デビューから続いた連敗街道

ハルウララがデビューしたのは1998年。
舞台は地方競馬・高知競馬場。

しかし、その初陣から勝利は遠く、気づけば連敗の数は積み重なっていきました。
普通なら数十戦もすれば引退となるのが競馬の常識。ですがハルウララは違いました。

――通算成績:113戦0勝。
未勝利のまま引退という、前人未到の“連敗記録”を打ち立てたのです。

競走馬の世界では「勝つこと」がすべて。
しかし、この馬の物語はその常識を覆していきました。


「負けても輝ける」時代の象徴

1990年代末から2000年代初頭、日本社会はバブル崩壊の余波を引きずり、リストラ、不況、倒産といった暗いニュースが続いていました。

そんな時代に現れた「負け続ける馬」。
勝てない馬の姿に、むしろ人々は自分を重ね合わせ、勇気をもらったのです。

「負けてもいいじゃないか」
「何度転んでも、立ち上がればいい」

その姿が時代の空気と共鳴し、ハルウララは瞬く間に全国区のアイドルへと成長していきました。


馬券が「お守り」に変わった

ハルウララの人気を象徴する出来事のひとつが――「当たらない馬券」

彼女の単勝馬券は「絶対に当たらない」からこそ、“交通安全のお守り”として爆発的な人気を集めました。

競馬の本来の目的は「馬券を当てること」。
しかし、ハルウララの馬券は「当たらないから価値がある」という逆転の発想で売れ続け、日本列島を席巻したのです。


武豊騎乗、ブームの頂点へ

2004年3月。
ついに競馬界のスーパースター・武豊騎手がハルウララに騎乗することが発表されました。

この知らせは瞬く間に全国へ広まり、高知競馬場には1万3000人ものファンが殺到。
入場制限までかかる、かつてない大盛況となりました。

レースの結果は11頭立ての10着。
それでも観客席からは温かい拍手が鳴りやまず、ハルウララは「負けても輝ける馬」としてさらに強烈な印象を残しました。


高知競馬を救った小さなアイドル

ハルウララの登場は、長年赤字続きで廃止すらささやかれていた高知競馬にとって、まさに救世主でした。

2004年、高知競馬は久々に黒字へと転換。
一頭の小柄な牝馬が、存亡の危機にあった地方競馬を救ったのです。

その後2005年に引退すると、再び厳しい時期を迎えますが、ハルウララが残した光は決して消えることはありませんでした。


通年ナイターと「復活」の物語

2009年、高知競馬は地方競馬として初めて「通年ナイター」を導入。
経営再建の努力は実を結び、売上は右肩上がりに伸びていきました。

2008年に40億円足らずだった年間売上は、2016年には250億円以上へ。
今では「地方競馬の成功モデル」として全国から注目される存在に生まれ変わっています。

その物語の始まりに、確かにハルウララの存在があったのです。


「勝つことだけがすべてではない」

競馬とは本来、「勝ち馬」を称えるスポーツです。
しかし、ハルウララの物語が私たちに教えてくれたのは――

「負けても価値がある」
「勝てなくても、人の心を動かせる」

というシンプルで力強い真実でした。

勝利を重ねる馬が歴史に名を残すのと同じように、勝てなかった馬もまた、人々の記憶に永遠に刻まれる。

ハルウララはそのことを証明してくれたのです。


永遠に忘れない「負け組の星」

ハルウララは、決して強い馬ではありませんでした。
けれども、その姿は強さ以上のものを、私たちに与えてくれました。

勇気、希望、そして「諦めない心」。

――ありがとう、ハルウララ。
いつまでも、あなたを忘れません。

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