ダービー前日――。
東京競馬場には翌日に迫った日本ダービーへ向け、多くの競馬ファンが集まっていた。
約7000頭もの同世代の頂点を決める競馬の祭典。
3歳馬たちが夢見たクラシックロードの集大成。
競馬界の視線は当然ながら芝の最高峰へ向いていた。
しかしその裏で、一頭の若きダートホースが静かに、そして確実に歴史級のパフォーマンスを見せていたことを知る人は決して多くなかっただろう。
土曜、京都競馬場。
鳳雛ステークス。
後に振り返ったとき、このレースが一頭の怪物誕生の瞬間として語られる日が来るかもしれない。
その主役こそ、美浦・斎藤誠厩舎のイッテラッシャイである。

すでに片鱗は見せていた
イッテラッシャイは決して無名の存在ではなかった。
前走の中山1800メートル戦では、2着馬に8馬身差をつける圧勝。
勝ち時計だけでなくラップ内容も非常に優秀で、数字を重視する競馬ファンの間ではすでに話題となっていた。
「この馬は重賞級かもしれない」
そんな声が少しずつ聞こえ始めていたのである。
しかし競馬の世界では、一度の圧勝だけでは本物とは認められない。
相手関係。
展開。
馬場状態。
様々な条件が噛み合った結果である可能性もある。
だからこそ今回の鳳雛ステークスは重要だった。
昇級戦。
相手は強化される。
前走のパフォーマンスがフロックなのか、本物なのか。
その答えが問われる一戦だった。
レース前から漂っていた違和感
レースが始まる前から、イッテラッシャイにはどこか大物らしい雰囲気が漂っていた。
パドックでは落ち着きがありながらも前向き。
馬体にはまだ成長の余地を感じさせる若々しさが残っている。
完成された古馬のような迫力ではない。
しかし、その奥に秘めたエネルギーを感じさせる馬だった。
そして迎えた発走の瞬間。
ゲートが開く。
外枠から抜群の反応。
一完歩目からスピードが違った。
鞍上は迷うことなく前へ出していく。
無理なく先頭を奪取。
まるで最初から勝負が決まっていたかのようなスムーズな競馬だった。
決して楽ではないペース
逃げ馬が強く見えるレースは多い。
しかし数字を見れば、その強さが本物かどうかは分かる。
今回の前半1000メートルは61秒4。
一見すると平均的な数字に見えるかもしれない。
だが3歳ダート戦として考えると決して楽な流れではない。
しかもイッテラッシャイは先頭。
常に風を受けながらレースを進めていた。
逃げ馬にとって最も苦しいのは最後の直線である。
先行勢が失速し、後続の差し馬たちが襲いかかる。
それが競馬の常識だ。
しかしこの日のイッテラッシャイには、その常識が通用しなかった。
直線で再び加速する異常さ
4コーナー。
普通の馬ならここで苦しくなる。
手応えが怪しくなり、鞍上の手が動き始める。
しかしイッテラッシャイは違った。
むしろ余裕がある。
直線へ向いても脚色は衰えない。
そして追い出されると再び加速した。
逃げている馬が最後にもう一段ギアを上げる。
これは簡単なことではない。
多くの名馬たちに共通する特徴でもある。
後続は懸命に追う。
しかし差は縮まらない。
むしろ広がっていくようにすら見えた。
最後まで危なげなく押し切り勝ち。
ゴール板を駆け抜けた瞬間、そこには能力の違いだけが残されていた。

本当に凄いのは時計だった
勝ち時計は1分50秒2。
これだけでも十分優秀である。
しかし本当に注目すべきなのは比較対象だ。
同日に行われた古馬3勝クラス。
イッテラッシャイはその勝ち時計を1秒以上も上回っていた。
競馬において1秒差は非常に大きい。
しかも相手は古馬のオープン級に近い実力馬たちである。
まだ3歳春の若駒が、それを上回る時計で走った。
これだけでも高く評価されるべき内容だった。
しかし驚きはまだある。
最後の4ハロン。
48秒7。
この数字が尋常ではない。
ダート競馬に詳しいファンなら理解できるだろう。
前半から先頭で競馬をしながら、ラスト4ハロンで48秒台。
これは簡単に出せる数字ではない。
むしろ異常と言っていい。
歴史的名馬との共通点
さらに調べると、過去10年間の3歳ダート戦で同等のラップを記録した馬はわずかしか存在しない。
その中に並ぶ名前が凄い。
クリソベリル。
ルヴァンスレーヴ。
どちらも後にダートGIを4勝した歴史的名馬である。
もちろん現時点でイッテラッシャイを同列に語るのは早計だろう。
競馬はそんなに甘くない。
故障もある。
成長の停滞もある。
世代レベルの問題もある。
それでも数字だけを見れば、同じ領域に足を踏み入れていることは事実である。
少なくとも今回のパフォーマンスはGI級の能力を示唆するものだった。
血統にも裏付けがある

競馬は血統のスポーツでもある。
イッテラッシャイの魅力は走りだけではない。
その血統背景も非常に興味深い。
父はミスチヴィアスアレックス。
世界最強種牡馬とも称されるInto Mischiefの流れを汲む血統である。
アメリカ競馬特有のスピード。
圧倒的な先行力。
そして高いダート適性。
その特徴を色濃く受け継いでいる。
一方で母系にはディープスカイ。
さらにフォーティナイナーの血も持つ。
単なるアメリカ型ではなく、日本競馬に適応した持続力と中距離適性も兼ね備えている。
まさに日米融合型の血統構成。
今回見せた持続力とスピードは、この配合だからこそ生まれたものなのかもしれない。
まだ完成形ではない
そして何より恐ろしいのは、この馬がまだ成長途中である可能性が高いことだ。
通算6戦3勝。
現在2連勝中。
キャリアはまだ浅い。
精神面も肉体面も完成には程遠い。
競走馬は3歳夏以降に大きく成長するケースが珍しくない。
もし今回の走りが完成形ではなく、通過点に過ぎないのだとしたら――。
その未来は非常に明るい。
ダート界にはフォーエバーヤングという世界級の王者がいる。
しかしその下の世代にも、新たなスター候補が次々と現れている。
イッテラッシャイもその一頭になる可能性を秘めている。
目標はダート三冠最終章か
今後の最大目標は東京ダートクラシックになるだろう。
ダート三冠最終章。
世代最強を決める大舞台である。
今回の内容を見る限り、距離延長への不安も少ない。
むしろさらに良くなる可能性すら感じる。
先行できる。
時計も優秀。
ラップも優秀。
血統も優秀。
そしてまだ成長途上。
大舞台へ向けて理想的な材料が揃っている。
もちろん試練も待っているだろう。
重賞戦線には強豪が集まる。
マークも厳しくなる。
それでも今回見せたパフォーマンスは、それらを乗り越えられる可能性を感じさせるものだった。
新たな砂の王者誕生の序章か
ダービー前日。
日本中の競馬ファンは芝の祭典に夢中だった。
しかし京都競馬場では、もうひとつの歴史が動き始めていたのかもしれない。
イッテラッシャイ。
まだその名を知らない人も多いだろう。
だが競馬の歴史を振り返れば、本物の怪物はいつも突然現れる。
そして気が付いたときには頂点へ駆け上がっている。
今回の鳳雛ステークスが、その第一歩だったのか。
それとも単なる通過点だったのか。
答えが出るのはもう少し先になる。
しかし一つだけ確かなことがある。
この日、京都競馬場で見せた走りは本物だった。
ダービー前日。
芝の王者誕生を待つ裏で生まれた、もうひとつの衝撃。
イッテラッシャイ。
その名前を、今のうちに覚えておいて損はないだろう。


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